3月11日の加藤大樹ピアノリサイタルのプログラムについてご本人から曲目紹介を書いていただきました。
これを読んで、演奏会をより楽しみましょう♪
<プログラム>
シェーンベルク:3つのピアノ曲Op.11
シューマン:幻想小曲集Op.12
R.シュトラウス(レーガー編);黄昏の中の夢Op.29-1
R.シュトラウス(レーガー編):夜の逍遥Op.29-3
J.ブラームス:ピアノソナタ第3番へ短調Op.5
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
♪シェーンベルク
ミュンヘン音大の目の前に広がるケーニヒス広場を通り抜けた先、一際目を引く黄色の建物があります。レンバッハハウスの名で知られるこの美術館には20世紀初頭に活躍した表現主義画家の集団「青騎士」の作品が中心に展示されています。(写真はwikiから拝借)
受験の準備のために初めてひとりで訪れた冬のシェーンベルクの芸術理論と音楽に触れた感動のままに制作した作品です。ではその芸術理論とは?二人の往復書簡の中で「非論理的」(カンディンスキー)「芸術における意識的作為の排除」(シェーンベルク)と端的に呼ばれるそれは、自己の直接的な表現、本能の表現を指向しています。
今回演奏する「3つのピアノ曲 Op. 11」は作品番号を持つ最初のピアノ独奏曲であり、中でも第3番はシェーンベルクの音楽的表現主義が最も極端な形で示されています。初めて聴く方は、耳慣れない強烈な不協和音におそらく面食らうでしょうが、この革命的な作曲家(にしては未だに評価が低いと言える!)の音楽をそのまま純粋に聴いていただき、感じたままの印象を大切にしていただきながら、何故、彼(ら)がこのような音楽を生み出さずにはいられなかったのかということに少し思いを馳せていただき、シェーンベルクの音楽を味わっていただければ嬉しいです。
♪シューマン
彼の作品中、最も有名なひとつに数えられるであろう曲。1828年の日記には「黄昏時は心からファンタジーを引き出す本物の妖精の杖だ」との一文があり、第1曲「夕べに」(Sehr innig zu spielen = 非常に心から演奏してとの意)から始まるこの曲がどれほど幻想的な雰囲気を持つ作品であるかは明らかです。昼から夜へと移り変わる時、それは苦悩渦巻く現実世界から夢の世界への、幻想の入り口なのです。
第2曲「飛翔」この音楽によって衝動に駆られ、授けられた翼で、更なる高みへ飛翔しゆくようです。
第3曲「なぜに」なぜ私は、愛してしまうのか。なぜ、愛することをやめられないのか。自問する心。
第4曲「気まぐれ」にはMit Humor(ユーモアを持って)との指示があります。フモール(Humor)についてシューマンが「耽溺的」と「機知に富む」二面性を持つと指摘したように変化する調性が気まぐれな性格を表しているようです。
第5曲「夜に」はシューマン曰く、へーローとレアンドロスの物語。純愛と試練。添付の絵画は、この物語をテーマにしたターナーの作品。
第6曲「寓話」どんな登場人物(生物)を想像しますか?私には天使や空想上の動物たちの無邪気な会話のように聴こえます。
第7曲「夢のもつれ」軽やかに駆け抜けるこの道化めいた音楽は、交錯する夢、瞬間の煌めきといった要素を見て取れますが、その裏側には表出する前に消えゆく、自らも気づいていないような瞬間のファンタジーが同時に存在しているようにも思えます。
第8曲「歌の終わり」についてシューマンはクララに宛てて「婚礼と葬式の鐘が入り混じって聴こえてくる」と書いています。
この上ない喜びの渦中にあっても、彼は孤独の悲しみと痛みを常に抱えていたのでしょうか。歌の中にすべてが溶け合って、歌と共に幻想の幕が閉じる。
R. シュトラウス
ミュンヘン出身の作曲家、リヒャルト・シュトラウスの作品を演奏する機会はピアニストにとって少ないと思います。私自身、彼のピアノ作品には触れた機会はなく、強いて言えばヴァイオリンソナタ(超難曲)の壁にガツンとやられた記憶があるくらいです。なので、この美しい歌曲の編曲に出会えた時はとにかく嬉しく、いつか演奏会で、との思いを温めていました。シューマン、そしてブラームスを繋ぐ作品として「黄昏」「夜」をタイトルに含む2作品を選びましたが、美しき詩と音楽で紡がれる愛に溢れたこの曲を是非、楽しんでいただきたいです。歌詞は画像をご参照ください。
Σχόλια